銀座 Black Heart

2026年7月22日水曜日

君のことがほんとに好きでした(ナオミ)

模倣、とは常に、私にとって最も重要なテーマである。


始まりは、憧れ。

憧れは、私の中のあなたを崇拝する行為である。

動的平衡(必ず絶えず変化し続ける)なこの世界の中で、私の中のあなただけはあの頃からずーっと変わらないまま。そのあなたみたいに、私はなりたいの!

本物のあなたとは別物の、私が勝手に生み出したあなたのような存在を真似ることは、模倣なのか。


または、劣等感。

私よりずっと評価されてるあなたみたいになれない事の劣等感は、ずっと私に付きまとう。あなたみたいに正しく、優しく生きられたらどれほど良かっただろうか、って皆に思うの。

でもあなたがたを真似て行動してみても、全然上手くいかない、むしろ私だけワンテンポ遅れてて、皆みたいに上手く生きられない気がする。

模倣は必ず、本物よりも遅れていること。初めにそれをやりだしたヤツ以外は全員二番煎じに過ぎないこと。


てなると、

私は所詮社会のコピーに過ぎないんじゃないかという問いが生まれる。(これは、もっと逃れられない、必然的な模倣の話。)

アイデンティティの形成が後天的に行われるのであれば、私が今持ちうる全ては父母、祖父母、学校教育や社会規範そのものと言えるのではないか。それは模倣を通り越した、もっと根源的でどうしようもない模倣。それこそ、動的平衡のような話。

インプットしないとアウトプットもないのなら、私自身は常に何かの模倣をしながら生きているのかもしれない。


最後に、循環。

そして私も社会になっていく。新しく生まれる子供らを形成させる社会の一部になる。私が一員となっている社会を、彼らは模倣する

(彼らは決して模倣しきることはできないのだ。なぜなら、模倣とは、「私が勝手に生み出したあなたのような存在を真似ること」であるから)。



私たちは所詮誰かの模倣に過ぎないこと。

また、私たちを模倣することは決して誰にもできないこと。

これは、私がこれまで感じてきた劣等感疎外感、罪悪感無力感を救うことができる、唯一の言葉たちである。

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(まあ要はラカンの鏡像段階と同じような話。

もっと要すると、あなたみたいになりたかった!というだけの話。)


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