2015年7月9日木曜日

NIKE

マグリット展と、ヴァニラ画廊新展示について。

日照時間、少ないですね。

私が育った北国は、こちらよりも日が弱かったので、曇りの日はテンションこそ上がらないものの、どこかほっとします。なぜか行動的になれたりします。

今週の頭、ヴァニラ画廊の新しい展示
・池谷友秀展 『BREATH − MOON』
・波磨 茜也香展 『今、事の重大さに気付きました。』
を鑑賞してきました。

6月末には、会期終了間際のマグリット展に行きました。

美術鑑賞をするよう心がけていると、素敵な展示に出会っても、その感動をうまく言葉にできないもどかしさが募ってきます。

あるいは、だから美術や芸術に対峙することに腰が重くなるのかもと考えたりもします。

作る人だって、言葉にできない部分が大きいから、作品にしているはずなのに、見る人は感想を言葉で表現しないと伝わらない、というのはちょっと不便ですね。いっそ踊ってみましょうかとか。

マグリットの作品や注釈を読んでいると、彼は絵を描きあげるのが目的だったのではなくて、絵を完成させた後も、その絵を見て色々と考察していたのではないかと思いました。

絵を描くことが彼の研究の手段だったのではないかしらと。だからこそタッチは潔く、見てて小気味いいところが、長年の人気につながっているのか、などと妄想していました。

マグリットの作品には、吸い込まれそうな青空にぽっかり浮かぶ雲のモチーフが出てきますが、なぜか、この空を見ていると不穏な気持ちになりませんか?晴れているのに、心がざわついてくるような。向こうから何かが奇妙な音とともにやってくるような。


表現における凄惨さというものも、見ていて心を奪われる魔力がありますが、わたしはそれ以外にも、なんだか不穏というか、ざわざわする感じがとても大好きで、 小さい頃に台風の前の強い風の中、草原の立って黒い空を見上げていた時のような感覚に立ち返ります。不安なんだけど、わくわくもしている。

その再認識がしたくて、芸術に会いにいくのかもしれません。

と、故人については色々なことを考えられるのですが、現代に生きるアーティストたちについては、なかなか気の利いたことが言えません。しかし、確実に言えるのは、実際に、本物というか、生物を観に行く、その重要性に勝るものはないということです。

ヴァニラ画廊の展示、ぜひご覧になり、わたしとブラックハートでこっそりいろいろ感想を言い合いましょう(^ ^)笑


今週末のサディスカナイトに向けて、幾分気持ちも高まっていたので、落ち着いた内容でお送りしてみました

本日もご来店をお待ち申し上げます!

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